機械科→機構設計→広報宣伝→製造営業
→クリエーター

北村 容章(きたむらやすあき)

大阪府立工業高等専門学校(現:大阪府立大学工業高等専門学校)機械工学科卒。
家電メーカーで13年間音響機器の開発に携わった後、同社広報宣伝部門への転属を希望。
広報宣伝業務を5年間経験した後、退職。
知人の部品製造会社に8年間勤務。
2004年、クリエーター・エースキット起業。

元々は機械科卒の技術者でした

13年間音響機器の機構設計をしていたのですが、感性を生かす仕事の方が向いていると思い、
当時社内に新設された広報宣伝部門への転属を希望、マスコミ対応や宣伝業務を担当しました。
技術と宣伝を経験した後、同社を勤続18年で退職し、訳あって知り合いの会社で再び製造職に戻ったものの、
感性の仕事への思いが断ち切れず、2004年、47歳でクリエーターとして起業しました。

無謀なゼロスタート

とは言え、やったこともない仕事。
実績ゼロ・クライアントゼロ・仕入先ゼロ。
人生のリセットと言えば聞こえはいいですが、
何もかもゼロからの無謀なスタートでした。
友人からの紹介で少しずつ経験を重ね、大手企業や関西のタレントさんと知り合う機会にも恵まれて、
気がつけば、この仕事が一番長いキャリアになりました。

全ての経験を活かさねば・・・

設計/宣伝/モノ作りの経験は、クリエーターの仕事の大きな礎になっています。
機械工学と設計・モノ作りの知識は、製造業の社長さんとの商談を
互いにストレスなく進めるのに役立ち、取扱説明書を作るときも、
一度説明を聞くだけで大方のことが理解できるので、お客さんが安心して任せられる要因になっています。
広報の経験からは、マスコミ用の原稿や記事の執筆を通じてわかりやすい文章の組み立てを学び、
コピーライティングの仕事に役立っています。
宣伝からは消費者の心理を分析して、行動を促すアプローチの方法を学びました。

人はありがたい

今の仕事を続けていられるのは、偏に家族の理解と周りの助けがあったからです。
自己中心で身勝手な私に付き合ってくれた
「周りのありがたさ」が身に染みて、
今更ながら血の通った仕事を誓っています。
(遅い!)

エースキットはアーティストではありません。
売れる方法を考えるクリエーターです。
知り合って決して損はないと思っています。
是非一度お声かけください。

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